まぁ、いつもながらたいした事ではないのですが、いままで思っていた事と今日なにげに感じた事があり書いちゃいます。
今日食堂でお昼を食べていた時なのですが、テレビを見ていて、
『日本人しか映っていないし、日本語だし、なんで字幕が日本語なの?』
と、思いながら見ていました(行儀悪いなんて言わないように!!)T.ocimは、職業上右耳がちょっち聞こえにくかったりします。離れたテレビからはレポーターとかの話している音は聞こえるのですが、話自体は聞き取りにくかったりします。でも、字幕とテレビから聞こえてくる音だけで、聞き取りにくい音が頭の中では話に出来上がっていたりします。そう、本人たちの声できちんと話しているようにね。
こんな事は、勘違いや想像の域を出ませんが、自己満足としては納得いくのかなと思います。
話は微妙に変わり『手話』なんです。T.ocimaは手話は出来ません。手話をしている人を見ると情報が伝わっているのがすごいと思っています。いきなりなんで手話の話になってしまったかというと、上記した耳から入る欠落した情報と目で見る確実(でも情報は少ないと思う)で、ふつうに意思の疎通が出来るんだなと思ったからです。
で、今日の思いつきなんですが、この『手話』もっとグローバルにならないのかなと思ったりして... どうゆう事かと言えば『万国共通手話』なんてできれば、たくさんの各国語も覚えないで(覚えきれないで)も万国の人たちと話が出来るのではないかなと思いました。まぁ、手話ですべてを補うのではありませんが、友達になるきっかけには十分効果があるのではないかと思います。
現在の手話は各国で違うみたいなんですよね〜 その国(日本とか)自体でも積極的に手話を教育しているとは思えないので、これを逆手に『万国共通手話』なんて作ってみたらどうでしょうかね? 各国語の発音に自信がなくても手話を付け加えて話せば、かなり伝えることができるのではと思います。
まぁ、今までT.ocimaの近くにいた外国人の方は日本語が上手で、あまり困った事ありませんが、平和な世界があって末永く続くなら『万国共通手話』なんてのがあってもいいかな〜 と思った昼下がりでした。